ミラノ 10-11 Sep 2008


無事にホテルのネット予約を完了させて、ソーセージとパンを片手に駆け足でミラノ行きに搭乗。
湖と山々の間を縫いながら列車は南下、美しい夕日を見ることもできました。次に列車から朝日を見ることがないと思えるかどうかで、夕日の美しさって変わってきます。
ミラノには無事に23時前に到着。壮大な駅構内は工事中でがっかり。


そして、休む間もなく、さっそくサイコロを:

  1. モン・サン・ミッシェル
  2. モン・サン・ミッシェル
  3. ローマの平日
  4. ピサでピッツァ
  5. ヴェネツィア映画祭
  6. ニースで海水欲

もはや、意地になってきたO坂さん。ついにモン・サン・ミッシェルを2つも書いてしまいました。いちおう構図としては仏vs.伊。そして、ヒロシさんが出したのは、1.モン・サン・ミッシェル!!!
ミラノからの移動は選択肢2つ。昼にパリへ移動し21時頃に到着して一泊するか、夜行列車か。私の答えは「どうせパリでも寝るだけなら、ミラノをゆっくり楽しもう」。というわけで、ミラノ23時半頃発の夜行列車に乗ることにしました。

ミラノも朝から快晴。まずは4人用の寝台を予約した後、ドゥオーモを見学。ここに「最後の晩餐」があると思い込んでいたのは、私だけではないはず。



ドゥオーモ内部は写真撮影禁止とされながらも、あちこちでフラッシュがたかれていました。せっかくなので、私も撮影。計算されているのか、神々しい光線がステンドグラス上部に入り込んできているショットを。



有料ながら屋根にも登れるので、上ってみました。だいたい8階くらいの高さ。
いかにも観光地的なインチキイタリアンの昼飯を食べた後、ミラノ大学(通称ミラ大)を見学。中庭は上が原っぽい感じ。



スフォルツァ城まで歩いて裏の公園の芝生で昼寝。周りはカップル達がめちゃくちゃ激しくいちゃついているのが悩ましい。って、まだ真っ昼間だよ。
しばし昼寝した後はブレア絵画館でゲージツ鑑賞。キリスト教の宗教画中心で心を落ち着かせるものの、O坂さんはトイレで警報を鳴らしたり、絵画に近づき過ぎてアラームを発動させたり、緊張感は抜けず。
夕食はドゥオーモ近くの、屋根も建物も気合いが入った造りのアーケード内で。


そして、ミラノ出発。予約した4人用の寝台個室を探すが、チケットに書かれた番号は3段 x 2列の6人個室を示している。駅員に確認を求めるものの、そこで間違いないとのこと。どうやら6人部屋を4人で使うというアレンジだった模様。狼狽する我々がその部屋を列車の外から覗くと、ややマッチョな男がせっせとシーツを引いたりして自分の陣地を作りつつあるのです。萎える気持ちを抑え、部屋へ侵入。こうなるとバルセロナから乗った寝台列車がはるかにマシ。
3人揃って不貞寝に入ろうとしたら、さっそくパスポート回収。もう一度スイスを通るかららしい。つまり、昨晩と同じルートで再びスイス侵入ということか。。。そして、このとき、ややマッチョな男は車掌と何やら話し込み、部屋から荷物を持って出ていきました。最初は食堂車に行っただけかと思いきや、なかなか帰ってこない。ドアを開け放していたら、車掌が閉めろという。迷わず施錠。
車両の悪さ、イタリア国内のレールの悪さも、山岳地域の運転の厳しさもあって、寝心地は最悪。前後左右のみならず、上下にも揺さぶられ、なかなか深く寝られず。しかし、O坂さんはイビキをかいて爆睡。うらやましい。ヒロシさんはどうやら寒さに震えていたらしい。ちなみに私は最上段、お二人は中段だったのですが、最上段は蒸し暑かったので、私の側にある冷房のノブを16度に合わしていたのでした。気がつくと最上段もえらく寒くなっており、その後24度くらいまで戻しましたが、このときヒロシさんはややマッチョ用の毛布を奪ってくるまっていたのでありました。
そして、朝。「あの男、最後尾に立ってるよ」とO坂さん。ややマッチョな男、列車から流れる景色を眺めてらっしゃる。まさか、夜中じゅう立っていたわけではないだろうけど、どこで寝たのか、気になるところ。