2005年のダイジェスト。

今年は2ヶ月前にフライトを予約したおかげで順調に神戸まで帰ってくることができました。前の晩は最終出勤日ということもあって遅くまでちゃっかり飲んで、なんだかんだで3時くらいに寝て、5時に銀座を出発。荷物はパソコン2台とデジカメだけ。羽田空港の手荷物検査では、パソコンを鞄から出さないといけないけど、パソコン出したら他に中身がないっていうのは、今思うとちょっとした不審者ですね。というわけで、6時半のフライトで離陸、夜明けの薄明かりの空の旅を、、とうまく書きたいところですが、離陸も着陸もほとんど記憶がございません。酒臭く、瞼も半分閉じたままで爆睡し、気がついたら周りが全員立って荷物を抱えて通路に並んでいました。
さて、神戸に戻ったら戻ったで、家からでかけず、料理の手伝いをする以外はほとんど何もせず、極めてのんびりと過ごしております。年末年始のテレビにはほとんど興味ないし、パソコンにただ向かうのみです。少しでも仕事をしようと思うものの、Notesメールが来てないのを確認したら切迫感もなくし、終日HDDのデフラグ。まぁ、大掃除みたいなものですね。


では、そんな環境で終えようとしている2005年、ブログの1年分書きだめ、、、もとい1年の振り返りを:

  • 引っ越し

今年のトピック第1号は会社の寮を出て、銀座へ引っ越したこと。04年11月終わりにオフィス移転を水面下でのPG活動で知り、ふざけてネットで銀座線沿線を物件検索したのが始まり。元カノの3年越しの呪縛(それまでの3年間は大殺界なので引っ越しや結婚など大きなことをしてはいけないと言われ、何か機会あるたびにMickは背中に冷たい銃口を突きつけられているような気持ちになっていたのです)から解放された勢いも手伝って、12月初めに物件見学し、1件だけ見てそのまま契約。会社が目と鼻の先というロケーションしか眼中になく、部屋が北向きだとか角部屋で柱が邪魔だとか考えていませんでした。
さて、引っ越しの1月15日を語る前に、その前日のお話をしておかなければなりません。04年の1月14日はグループの新年会でした。場所の手配を任されたMickは迷わずシェフ生島のいるハネザワガーデンの「こたつでしゃぶしゃぶ」を予約。4人で激闘を続けている我がグループの団結をよりいっそう強めるのに、こたつでしゃぶしゃぶなんて最高に素敵じゃないか!そう思ったわけです。ただ一つ、場所は屋外のテラスで風よけのカーテンもなく、たいまつとストーブと毛布で寒さと戦いながらの食事となることを忘れて。
それでも、新年で金曜日、Mickが主任とやらに昇格させていただき、恵比寿は上司の実家近辺という好条件がそろったが最後、ホットワインを数杯おかわりした上に、シェフからの差し入れのワインで加速し、4人はご機嫌に。そのまま恵比寿で2次会ボウリングへ行き、他に客がいないと知るとレーンでマツケンサンバを踊りだす始末。オーレッ!
その時です。Mickは翌日引っ越しということを思い出しました。そういえば、ヒロシ&O須賀選手は早々に手配していたものの、車1台では3往復は覚悟しなければならない荷物があるのでした。「友よ、助けてくれ」。勝手な期待胸一杯で電話した先は、楽ちゃん。きっとノエリアが不機嫌になるだろうなと思いつつ、何とか賛同いただいたのは0時過ぎ。ありがたや、ありがたや。更にその勢いで、SI先輩も手伝っていただけることに。でも、酒飲んでこの時間のお兄さんはほとんど目が閉じていたのでした。
タクシーで帰宅したのは、2時だったか3時だったか、とにかく遅く雪のちらつく中でした。いやぁ、まだ半分も片付いてないや、と思いながら、「雪?」と一瞬焦るMick。けど、3秒考えて、焦ったところで仕方ないと割り切り、片付けを忘れて眠りにつきましたとさ。
さて、ようやく本題の引っ越し当日。雪のちらつく中、休日返上で手伝ってくれた同士よ、ありがとう。前日までにパックしていた段ボール箱は15分足らずで運び出され、その後、のんきに昼飯を挟んで2時間くらいかけて残りの荷物ができあがるという体たらくにつきあってくださいました。全部、パックしてたら30分もかからず、すぐに移動できたんだろうな、と1年経って反省しております。それにしても、チームワークのいいこと、いいこと。誰がネックって、どうみてもMickがネックになって作業の遅れを発生させてましたね、いや自信があります。
さて、銀座の新居でもチームワークは抜群。車から降ろす人、運ぶ人、エレベーターに詰め込む人、上で受け取る人、そして部屋で待つMick。このとき、レイアウトはまったく考えておらず、更にどの箱に何を入れたかもわからない状態なので、とにかく運ばれたものを端から順に置き、組み立てられるものから組み立てていくという無計画な状態。ほとんど夜逃げのようでした。いや、ヒロシを残して、他の全員が荷物搬入後にいなくなってしまったのだから、ほとんど夜逃げ屋プロ集団のようだったわけです。
その後やってきたのは、O坂さん、赤石女史、ひらめね氏。皆さん、手みやげありがとう。無計画な引っ越しの影響で、銀座なのにみかん箱のテーブルで食事という異常事態を楽しんでいただけたと思います。
さて、その後、1週間ほど寝袋で生活し、ベッドやら冷蔵庫やら洗濯機やら大型投資を行い、現在のインフラがつくられたわけですが、つい先日のクリスマスにレイアウト変更を実施しました。そして、まだ多いとは言え、モノはどんどん減っていっています。引っ越しで運んで来たモノが、今年一年で4分の1くらいは破棄されていったのかな。。。重い荷物は決して嫌がらせではなかったのですけどね。>手伝ってくださった皆さん

  • 料理

さて、期限まで1年を残して寮を出た理由は、通勤時間の大幅な短縮とローコストオペレーションの追求だったのでした。銀座に住んで何がローコストかと言うと、ローコストそのものというよりは、金をかけずにいろいろ楽しもうということです。
その最たるものが料理。思い起こせば約7年前に社会人になってから、初めて親元を離れた生活をしていたわけですが、その時から食堂やらコンビニを中心にまずい飯での生活を余儀なくされていたことはMickにとっては多大なるストレスで、堪え難いものだったのです。
まず、購入した武器は圧力鍋。ドンキホーテで3,800円。圧力で蓋が吹っ飛ぶのではないかとヒヤヒヤしつつも、これにかければ、たとえ本人にやる気がなくとも、何かうまいものができてくれるというブラックボックス的な自信がでました。最強です、圧力鍋。
冬場は週の半分以上をポトフのようなスープで過ごしました。その後、生姜焼きだのとんかつだのメニューは増えていくわけですが、カレーだけは未だに神秘的で、完璧に納得できた試しがありません。それは、夏の「カレーもんじゃ事件」に端を発しているのかもしれません。
「カレーもんじゃ事件」とは、表向きには夏のForest熱海合宿という、結局はMickが伊藤家のドライブ旅行に同伴する形の2泊3日の旅だったのですが、その初日の食事での出来事。その日の食事はテラスでBBQにしようしながらも、リーダーがどういうわけか「カレーも食べたい」と望み、なんとなくつくり始めたわけです。ところが、BBQで肉を焼くのとカレーを作り始めるのが同時だと、どう逆立ちしたって肉が先に焼けるわけで、カレー担当Mickは焦りました。小麦粉とカレー粉をじっくり炒めてルーをつくるはずが、早く肉を食べたいがためにおろそかになり、ルーが黄土色のままスープへ投入。しかも、分量違いでサラサラなので、追加でルーをつくるはめになり、さらにMickは焦り、「どうでもいいや」と小麦粉とカレー粉を鍋に直接投与!これが決定打でした。
できあがったカレーは妙に白っぽい黄金色で、粘りはでているものの、少し甘いような時々辛いような不思議な味になりました。リーダーは「やべぇ、うめぇ」とガツガツ食べ、ゆきなちゃんは黙々と食べるのですが、夫人は少し悩んだ後「あー、カレーもんじゃと思えばおいしいかも!うん、もんじゃだもんじゃ」と素敵な笑顔。これがMickのトラウマになっていて、それ以来カレーは例え午前2時になろうとも、納得がいくまでじっくりと時間をかけて創ることにしたのです。けれど、なかなか理想の味には近づけず、今日も少し悶々としているのでした。

  • 骨折

今年の一大事と言えば、5月の骨折。サッカーでジャンプした際に腰を払われて手から落ち、手首の舟状骨というのがパッキリ折れてしまいました。しかし、怪我した当日は捻挫程度だと思い込んでおり、翌日の会社同期の結婚式でマツケンサンバを踊る気満々だったのです。なにぶんMickにとって骨折なんて初めての体験で、痛みの度合いも後から考えると「こんなものか」という感覚だったのです。ところが、翌日になってみると、マツケンサンバの踊りの決めの部分で手を挙げようにも痛くて挙げられない。それ以前にスーツを着たくても、ワイシャツのボタンをとめるのもままならない状態に。この日の公演への参加は結局できませんでした。
怪我して3日目の月曜日になって、青山の山王病院で検診して、ようやく骨折が判明。診療は美人女医に何度も手を握られたり撫でられたりされるわけですが、なにせその時には感覚をなくしていたものだから、ほとんどバーチャルワールドな気分でした。
さて、手首の中には8つもの骨があるらしく、その中でも血の巡りの悪い舟状骨を折ってしまったということで、手術が必要と診断されました。手術では麻酔を使うため、最低3日の入院が必要。ところが、この山王病院というところで入院しようと思うと、1日なんと3万円かかるというのです。先生も「無理よね?」という目で見つめていました。3日入院して、家賃と同じだし、ホテルよりも遥かに高いというのがすごい。セレブ病院、恐るべし。
そんなわけで、紹介されたのは月島のとある病院。玄関ホールにグランドピアノとかシャンデリアのあるセレブ病院が異常値だと思うけど、ここはここでしびれる古くささが香る病院。先生も看護婦も、セレブ病院の人たちとは天と地の差があるわけで、その下町叙情あふれる雰囲気は、自分が伊丹十三だったら映画を撮っているだろうな、と思うに十分なものでした。お見舞いにグループの3名+伊藤君がエロ本を持ってやってきてくれました。これも月島入院に見合うネタでしたね。ありがとう。

  • イベントとか。

さて、骨折して手術した前後はとりあえずじっとしていましたが、今年も時々強引ながらなんだかんだで企画モノを敢行しました。
3月には第2回サイコロの旅。今回はパワーアップして3連休切符という恐ろしいフリー乗車券を使っての旅だったので、それはそれはつらい旅路となりました。初日は、東京ー仙台ー函館ー青森。函館に着いたのは夕方17時でしたが、そこで振ったサイコロは無情にも青森を示し、函館は滞在1時間にして撤収。泣く泣く青森まで戻ったのでした。2日目は、青森ー野口英世記念館(猪苗代)ー川崎ー越後湯沢。猪苗代は絵はがきと同じ風景を撮影するという縛りがあったため、レンタサイクルに乗ってまで野口英世記念館へ行ってきました。夜遅くに着いた越後湯沢は、宿があっただけ奇跡です。3日目は疲れ果てた体に鞭を打つように山形へ。誰一人として、やる気が見られなかったのですが、怖いもので9ヶ月も経過しようとすると「また旅に出たいね」と誰かしら言い出すわけです。いいじゃないか、行こうじゃないか。


昨年はサイコロの他、富士急やらハロウィンやら華やかな(?)イベントが多かったので、今年は軽くガツンと骨のあるイベントも組みたいなと思っていました。その一つは3年ぶりの富士山登頂。体力がついたのか、落ちたのか、あの局地に行けば自ずとわかるのです。ちなみに、一人で行くわけではなく、連れを伴っていくには下準備も必要、というわけで、筑波山で下山の練習、サンシャインを階段で登頂、とか、軽くリハーサルもやったりしましたね。
富士山はあまり天気がよくなかったのですが、まずは怪我もなく無事に行けました。結論から言うと、体力は3年前よりついていたようです。前日が合コンながら、頂上近辺でダッシュをかけられるようになったのは、結構大きい。回復も少し早くなったぞ。と一人でピンピンしていたものの、周りは4人ともひどい頭痛に悩まされていたらしいです。ちなみに4人とは、ヒロシ、O須賀先生、タザワ先生、カニ君。特に、カニ君はそもそも運動不足のところにいきなり富士山だからつらかったでしょうが、よくがんばりました。えらいぞ。
体力系のもうひとつのイベントは、前からやりたかったことの一つ、「山手線歩いて一周」です。よく、「なんで歩くの?」と野暮なことを聞く人がいますが、答えは簡単です。歩きたいからです。富士山と同じような位置づけですね、私の中では。そうはいっても、タザワ先生以外にフル参加者がいなかったという点では、この企画はよほどマニアックだったのでしょう(渋谷からO坂さんと赤石女史が参加してくださいましたが)。結局、東京から反時計回りで都合13時間かかってゴール。東京のいろいろな景色を楽しめるので、こいつは素敵なイベントだと思ったんだけどな。来年は何をやろうかな。

  • サッカー

今年は多くの時間をFWでやらせてもらいました。骨折した2ヶ月間は参加できなかったけど、今年は今まで以上に頭を使ってプレイしたつもり。といっても、結果が6点程度だから、これはこれで反省。忘年会で宣誓した通り、来年は全部の試合でシュートをしっかりと打つ、という基本的なことを忘れないように勝負を仕掛けていきたいですね。

  • Forest

さて、最後はForestです。"Love you only""いとしのエリー""バンザイ"などのレパートリーがありながら、今年は練習を1回したっきり、Mickが骨折したこともあって、いきなり幻のバンドになりかけていますが、依然そのスピリットは健在ですよ。カバー曲もいいですが、自分の好きに演奏できるオリジナル曲を2006年は用意していこうと思っています。ベースとキーボードは随時募集中。


いやぁ、来年はライブやりたいなぁ。んー、ショートフィルムとかも撮ってみたい。今年はほとんど撮らなかった写真ももっと撮りたい。旅にも出たい。 なんて、3日間どこにも出かけない年末に、2006年は忙しくがんばるぞとMickは自分に言い聞かせているのでありました。では、皆様、よいお年を。。