挨拶

mickmori2003-12-30

 今日は大阪でかつての音楽仲間と再会。音楽仲間という言い方は正直言って物凄くオコガマしい表現であって、正確に言うならば兄貴分、いや師匠に近いものである。
 といっても、この不肖の弟子には楽理は身に付いておらず、どちらかというか、知らなかった世界を見せてもらったといおうか、様々な音楽や機材、サンプルなどを見聞きさせてもらったのである。変拍子やコードなどのちょっとした音楽理論や、いわゆるクラシックの前の時代の古楽だとか世界の民族音楽などの学術的なものだけにとどまらず、シーケンサーソフトやシンセ・キーボードなどデジタルなものも多く見せてもらった。
 バンドでも、とにかくいろんなサウンドの実験を繰り返していたが、当時人間的にも能力的にもキャパのなかった私は、彼のアドバイスも知識もろくすっぽ受け入れていなかった。もったいないことをした。
 椎名林檎にしてもデビュー当時('98)に彼がイチオシしていたにも関わらず、私は聞く耳持たず我が道を行っていたし、彼が積極的に使う打ち込みの音楽にも抵抗感を覚えていた。なのに、今はそのへんがとてもよく理解できるようになったどころか好んで聴いている。
 自分の能力やセンスの問題が大きいと思うが、彼のセンスやアイデアは当時でも群を抜いていたと思われる。ライブの中で打ち込みのシーケンサーと同期させたイメージ映像と生の姿を組み合わせてモニターに映すような視覚効果、インターネット経由でのライブ生中継など、今でこそ当たり前に、そして簡単にできる時代であるが、当時は彼のアイデアに技術がついてきていなかった。最悪だったのは、三田市の成人式で演奏したときに、あの古い市民ホール設備では電流が不安定だったのか、モニターはノイズだらけだったことと、難波の小さなライブハウスで電圧不安定のためにシーケンサーが誤動作しまくったこと。難波のライブは曲目を切り上げて途中で打ちきらずを得ず、彼は舞台裏でベースギターを壁に投げつけて、泣いて悔しがっていた。心底ピュアなのである。
 ピアノを中心にドラム、ベース、それからチェロのような古楽器など様々な楽器を器用に引きこなすが、ギターだけはなぜか雰囲気の出せないというのが彼にはあって、今思えば、そこが深い付き合いのきっかけだったのかもしれない。なぜならば、小職は唯一ギターだけは雰囲気が出せたからである。
 今日は会って食事とお茶をしつつも、結局はソフマップヨドバシカメラというコースをたどった。カメラ、映像、コンピューター、音楽機材、印刷、デザインなどでの知識はさすが健在で話はつきない。こういう知識や好奇心を持っている人が東京では周りにいなくて、あらためて寂しいと感じた。
 現在、仕事ではなかなか苦労しているようだったが、それでも自分の道を進んでおり、ますます尊敬。最近、結婚もしたようで(さりげなく言うあたりもキャラが出ている。手帳には『結婚式(本人)』と書いて結婚式を忘れないように気をつけたのだとか)、今後なんとかブレイクして再び音楽を中心に彼のアイデアが日の目を見るようになってほしいと願うばかり。

今日は帰り道、見知らぬ親子連れの小さな女の子に「こんばんは」と挨拶され、なんともホッとした。